タンポポのように

タンポポのように


タンポポの根は地中数十センチまで伸びてしっかりと大地を捉えています。
茎は柔らかく中は空洞。
葉っぱは大地に沿って大きくのびのびと手を伸ばすように広がります。
天に向かって咲く花は太陽のようで、その後綿帽子のようになってブロウボウルができて、
風が吹くと天に舞っていきます。

他の植物が生きていけないような厳しい環境下でもたくましく生息します。

柔らかい茎は風が吹くと揺れます。
しかし極端に揺れれば折れてしまいます。
ちょうど良い範囲をゆらゆらしているんですね。

そして空洞の茎は天地のエネルギーが流れるような導管にも見えます。

やがてブロウボウルは天に舞って、あるものは子孫を残し消滅し、あるものはただ召される。

そのようにタンポポを見ていると、私たち人間のように思えてくるんですね。

このところお話しすることが多いテーマで「軸」というのがあります。
それは決して硬いものではなく、むしろ柔らかくある方が良いという。

心の軸とか信念というものは強い方が良い・・・とはいえ強すぎれば硬く、固ければ脆いものです。
一度折れてしまうと修復が効かない。

『創造的なあなたを生きるセルフコミュニケーションセミナー』(旧「傾聴とコミュニケーションセミナー」)で毎回お話ししている《地獄的か天国的か》という項目があります。

私たちは意識の持ち方次第でどちらにも揺らぐ。

そこで私はこう伝えています。

私たちの意識とか、エネルギーとか魂の輝きや影のようなものが、天使と悪魔の餌だと考えてください。
私たちのあり方次第で彼らは強くも弱くもなります。
天使の餌は喜びとか祝福とか
悪魔の餌は怒りとか憎しみとか

どちらが良くてどちらが悪いのではありません。
私たちは彼らの中間にいて、どちら側にも必要な体験をしています。
そして天使に餌を与えるか、悪魔に餌を与えるか、それは私たち次第です。

しかし同時にこの世界には『恒常性(ホメオスターシス)』が働きます。

光に行きそうになれば闇に引き戻す力が働き、闇が強まれば光に戻す力が働く。

つまり、どちらかに行き過ぎることはバランスを欠くということ。

そこで肘をテーブルに立てて腕を揺らします。

肘がついているところは根っこ。
大地にしっかりグラウンディグして揺らぐことはありません。
でもこの根っこは作るものではなくて、人生を歩む中で誕生時(あるいは誕生前)から作られてきた揺るぎない《自分》です。

それはまったく自分では気づけていないことも含まれますし、言葉にできるほどシンプルなものでもなく。
概ね、窮地に立たされないと出てこないような底力のようなもの。

だから「私はこうである」という固まった軸は持とうとしなくていいのだと思うのです。 ただあるがままの自分にくつろぎ、確固たる自分を作ろうとしないでいることがごくごく自然な「揺るぎない自分」であるのかと。