『人生を背中で語る』って素敵だなぁと思います。
これは男に限らず女性でも言えることだと。
「人生を背中で語る」って字面通りだと面白いことになっちゃうのですが、そうでない本来の意味としてなら、これは
《生き様がオーラになって漏れ出している》感じのことを指すのだと思いますが、同時に、そういうことは『顔つき』にも現れるのではないかなと思います。
役者さんで、歳を重ねていい顔つきになったなぁ・・・という方けっこういますよね。
もちろん若い頃からカッコ良いわけですが、円熟味が増してさらに・・・というような。
生き様が顔つきに出るなら、皆さんはどんな顔つきがいいですか?
私は・・・やっぱり深みのある感じ。
平たい顔族なので彫りの深さは無理ですが(笑)
超彫りが深い人! というのは置いといて、
このエイブラハム・リンカーンは
『40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て』 と言ったそうです。
それはリンカーンが閣僚を決めようとしていた時でした。
閣僚候補に選抜された人物がいたのですが、
「顔が気に入らないから嫌だ」と推薦人に返しました。
それを聞いて推薦人が、「顔は生まれつきなんだから、彼に責任はない」と反論したところ、
リンカーンは「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだ」と言ったのでした。
真意はこのように考えられます。
40歳ともなればある程度人生経験を積んでいて、それまでの生き様、考え方といったものが自然と表情に現れてくるから・・・ということなのだそうです。
この時代ですから、男性に向けての言葉なわけですが、女性にだって当てはまると思います。
私の周り、同業者が多いですが皆さん年齢不詳。
つまり若い方が多い。 でも、見た目が若いけれど、
その方の人生の厚みとか深みとかがにじみ出ているなぁと思います。
いい歳の重ね方をされている、素敵に歳を重ねていらっしゃるんですね。
孔子は「四十にして惑わず」と言いましたが、それは《何が起きても動じることなく、それを受け入れる自由さを持ちなさい》という意味なのだそうです。
あと数年で40代を終える私ですが、狭い枠にとらわれることなく自由に物事が見られるようになって終えられたらいいなぁ。
40歳ともなればだいたい人生の半分くらいを過ごしてきたことになります。
気がつくと40代になってずいぶん経った私ですが、だいたい40歳くらいを起点に
「量より質」みたいな感じになってきました。
今まで生きてきた時間より、この先生きる時間は短くなります。 すると、どんな生き様でありたいかというのを自然と考えるようになっていくのでしょうね。それがどんどん顔に現れていくのかな。
私も背中で語り、円熟味を増した顔つきになっていきたいなと思います。