優柔不断と自我:置き去りにされた自分

優柔不断と自我:置き去りにされた自分


私はなるべく偏った考え方をしないように、いろいろな視点で物事を見ようとします。
そのように心がけるようになったのはいつからかわかりませんが、
最初の頃というのは物心ついた頃にはそうしていたと思います。
それは今とはだいぶ違う感じでした。

小さな頃から、なぜ差別するのか? 決めつけるのか?
どうして公平なものの見方ができないのか?って。
ある視点からは良いことや悪いことも、そうとも限らない。
状況から見えることと、本質は違うのに・・・・・と感じていたんでしょうね。
まぁ子供ですから大人からすれば屁理屈に聞こえるわけですが、子供なりにモヤモヤ感を抱き続けていたんですね。

私は子供なりに、周りの大人の「良い」価値判断からあぶれてしまった、除外されてしまった・虐げられてしまった存在に寄り添い、掬い上げようとでもしたかったのでしょうか、一般の「良い」価値判断ではないものを大切にするような性格でした。

そういうものの見方からやがて一般常識の価値観に対して反骨精神旺盛になり、こちらはこちらで「こうであるべき」というとても偏った見方やジャッジをするようになっていきました。
周りをコントロールして巻き込むこともありました。
正義感や責任感が強い理想主義者だったかもしれません。

ところが、自分の水面下では知らず識らずのうちに、ある出来事が進行していたんです。

やがて孤立していくことを恐れて、ジャッジすることを手放していこうとします。
そのスタンスはどっちつかずのものの見方で主体性が無い、周りに合わせようとする、周りの目を気にしてうまくやっていこうとする、恐れから来るものでした。

そして時が経つにつれ、本来の中庸なものの見方に向かうようになっていった感じでしょうか。

ずいぶん長くかかりましたけれど。

その長くかかった時間の間に実は水面下で
「主に思春期から成人期に形成し損ねた自我の再構築」が行われていたのだと思います。
成長の過程で本来であれば必然的に自我形成が起きるのに、部分部分でなにかしらの原因によって中途半端に終わるなり抑圧されるなりした『置き去りにされた自分』です。
ここには感情・理性・思考・願望が含まれ、いっしょくたになった「記憶」でもあります。

persona

私たちはそれに気づかないまま年を重ね、やがていくらかは忘れてしまいます。
いくらかは誇張されて、思い込みや価値観の土台の形成に含まれたりします。

やがて置き去りにされた自分はいつしか、何かの経験をきっかけに顔を出そうとします。
「置いてかないで!まだここにいるよ!」と。
私の場合、理不尽な状況にある自分をおざなりに、周りの理不尽さに苦しんでいる人や状況をどうにかしようとしていたため、自分のことが抜け落ちていました。

インナーチャイルドもその一部ですが、大人の階段を上り始めたころからのものはインナーチャイルドよりも複雑です。
さまざまな人間関係や環境が影響していくことと、その後の人生・価値観の土台を形成していることがあるため原因が不明瞭になりがちです。

 

ですから過去をリサーチして原因が何であったかを見るよりは、今の自分がかつて置き去りにした『置き去りにされた自分』であろうそれに、そのつど気づいていくことが何より、癒しや理解につながります
ところで、スピリチュアルな世界での欠点の1つに、思考優先型になる傾向があります。

何かことあるごとに「意味のあることだ」とその意味を探ってこじつけたりするのもそれ。
長い目で見て意味のあることになるもしれないけれど、その場で意味をこじつけるのは違います。

単に、「意味のあることだ」思考が→「意味がなければならない」思い込み思考に無意識に変換されているため、「意味を見つけなければいけない」になっていて、
その結果、意味をこじつけた方が楽になります。ただし楽を選択したことには気づいていません。

これもまた、「置き去りにされた自分」という自我が、自分をある種の形に定義しておきたいというしがみつきから起きる現象だったりして・・・・・。

やがて何が正しくて、何が間違っているのかわからないとか、本当は自分はどうしたらいいのか? という自分迷子が始まることがあります。

「置き去りにされた自分」が今のあなたに『自我の再構築』を求め始めます。
これが中年期の危機(ミドルエイジクライシス)と言われる現象です。
※中年期の危機に陥る原因はさまざまで、ここでの話はその一部です。

 

 

・・・・・で、やがていい大人になってから、私は一方からの視点だと良いこととか悪いことを本当にそうだろうか?って自問自答して、理性的に多方面から見た場合のことを考えるようになっていきました。

多様な価値観の社会、世界にはいろいろな考え方があります。
国家、民族、宗教、文化習慣によって様々ですね。

さて、物事を柔軟に多様な見方をするのは、それはそれで公平にものを見ようとするあり方としていいとは思うのですが、一方で、優柔不断にもなりやすいなぁというのがあります。

優柔不断が悪いわけでもないとは思うのですが、優柔不断で悩んで先に進めなくなってしまったり、自分迷子になったりすると困りものだなと感じることもあります。

結局これは考えすぎの優柔不断なんですね。
中庸にものを見られることと、見られないことがあっていいと思います。
「善悪にこだわらない。中庸でなければならない」というこだわりを捨てて、その時の自分の直感や心の感覚で判断していくほうが無理がない。

図形で言えば、六芒星の三角形の底辺(土台)が広がることで三角形そのものが大きくなっていく(人間成長)、と同時に逆三角形の底辺も大きくなり(意識の拡大)、それは結果として六芒星そのもの(自己存在の質)が大きくなっていく感じ。

『置き去りにされた自分』というものは、そうする癖がなくならない限り、成人してからも形成されていきます。そしてまたいつしか現れてきます。
癖になっていたり、忘れていたりして、ある日突然何かのきっかけで気づかされたりの繰り返し。

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ですから、中庸にものを見ようと考えたりするのもある程度年を重ねてからなんとなくで、それまでは中庸でなくてもいいと思っています。
それに中庸だと思っていてじつは違っていたりもありますから。

ある程度年(あるいは人生経験)を重ねないとわかりづらい感覚のようなものですし、若いうちは何よりしっかりとした自我の形成をしておく方を優先する結果、年を重ねた時に多様な視点を持てるようになるのでは無いかと思います。
これは若いのが劣っていて年長が優っているということではありません。
年代によって価値観も違う。役割も違います。
成長した大人は若い価値観を受け入れて理解に努めそれを見守り、若い価値観はそれが時代の価値観の代表になるかもしれないし、すべてでも、永遠でもないことをやがて知るかもしれないのですから、今の自分を精一杯生きることではないでしょうか

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ただ、中年期の危機を乗り越えてきているかどうかは大きいなと。
(波があるのか、一度どころか何度も押し寄せる←経験上の私感です(笑)
こんなしっちゃかめっちゃかで自分がぐちゃぐちゃになっていくような感じのする苦しいもの(←これも私の私感です(笑)無いに越したことないのに!とか思いますが、振り返ってみれば、自分という人間成長におおきく貢献しているのもわかります。
無いに越したことがないのに、あります。
その大小はありますが、まったく無いということはない。

 

先日、7つの習慣ボードゲーム公認ナビゲーターコースを受けて、実際に7つの習慣ボードゲームを通して、名著にして難解な「7つの習慣」を理解していきました。
「7つの習慣」には敗者を作らないWin-Winの考え方があります。
7つの習慣ボードゲームに関してはこちらをごらんください
恐らく若い社長さんと年を重ね経験を重ねた社長さんとでは捉え方が多少違うんじゃないかと思います。

若いうちのWin-Winはともすれば危うささえ感じる利益至上主義、狭い間でのWin-Winでその他は違うという排他主義、はたまた頭では理解していても経験的には理解していない人の恩恵や多様な価値観、やはりどこかに勝ち負けが見え隠れする感じも否めなかったり。
ただし、若いうちから実務経験を積んできている人とそうでない人でも違いはあると思いますし、大人になっても変わらない人もいますし、酷い人もいるでしょう。

一方で、どんなに経験豊富な社長さんでも、若いうちは無理が効いた体も年を重ねてくるとなかなかそうもいかなくなってきたりします。結婚や離婚、親との死別といった経験もあるでしょう。
人生を振り返り、自己認識を深め、棚卸を何度か経験してくるでしょう(すべての人がそうだとは言えないかもしれないですが)。
中年期の危機は自己の内外、いろいろな形でやってきます。
人生の中で起きるさまざまなイベントがその人を変えていきます。
そこから生まれてくるWin-Winの捉え方は前者とは随分異なってくると思うのです。
もちろん、年を重ねればすべての人がそうだとは限りませんよ。

数字にするなら20代〜30代後半くらいまで、人によっては40代くらいまででしょうか。
苦しさを伴わないなら、自我をはっきり形成する上でも自分の価値観やある固定化された価値観に凝り固まってもいいと思います。

生涯「置き去りにされた自分」はどこかに存在し、いつ何時顔を出すかもしれませんから。 そんな自分を大切にして生きていきましょう。

価値観の多様化とテクノロジーの進化等々によって現代人は「大人になるのに時間が掛かるようになった」のではないだろうか?と感じる今日この頃です。その分寿命も伸びました。

大人というのは多様な価値観を否定も肯定もせずまるっと受け止めていく。
中庸の中にある曖昧さを受け入れていく。そうなっていくにつれて、置き去りにしてきた自分というものは、今の自己と統合されてある種柔軟な軸を形成していくと考えられます。

曖昧だからこそ優柔不断にもなるし、曖昧だな〜って感じながらもその中でその時の自分にとっての最善の判断を自己責任においてできる。 それが大人なのかな。

どこかでわかっていればいいと思います。
「中庸であることがすべてではない」ということや、
「わたしはこれもいいけど、こうも思う」と思っている・感じている曖昧な自分。
「どこかに、置き去りにしてきた自分が眠っている」ということ。

長くなりましたが、中庸と優柔不断というのを主題に「置き去りにされた自分」について書いてみました。

お読みくださった皆様、ありがとうございます。

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