非情な天使の囁きと甘い悪魔の誘惑の狭間で、ひとでなしの自分と出会う

非情な天使の囁きと甘い悪魔の誘惑の狭間で、ひとでなしの自分と出会う


非情な天使の囁きと、甘い悪魔の誘惑の狭間で・・・

・・・その中に揺れている時は、レイヴンが目の前に現れて、どっぷりと「絶望感」や「無意味感」に浸らせてくれます。

内心ニヤニヤしながら「はい、来ましたね〜!」って呟きます最近は。
私も好きねぇ・・・(笑)

残忍で、非道で、殺戮者で、冷酷な人でなし・・・
あるいは、罪悪感いっぱいの依存症で執着しまくりコントロールしまくりの・・・

掘り出したらきりがないほどに、過去生も今もひっくるめて最低最悪ひとでなしな自分を掘り下げる作業。

今では手放した事ばかりであっても、玉ねぎの皮を剥くように核心に行けばいくほど恐ろしい。

しかし何かの折につけ、お伺いを立ててくるわけです。
悪魔がレシピを広げて、「まだこんなのありますがいかがですか?」と。

 

人は誰しも、その人なりの最低で最悪な部分を持ち合わせています。

だから善人を演じて、そんな自分が出てこないように蓋をしてごまかしていくこともします。

そうするたびに、少しずつ少しずつ、自分で自分のエネルギーを失わせ、傷つけていくのにもかかわらず、そうでもしないと生きていけないとばかりに善人を演じようとする。

罪悪感、無価値観からぽっかり穴の空いた心を見ないようにして。

「鎧の上から美容液」を塗るわけですね(笑)

そこから気付いて手放して解放して自由になっていくというプロセスを幾度となく私たちは経験していきます。経験させられる感もあります。

一人でそこを渡り歩いて行く事は最初はできても必ず困難な領域に達します。

泥沼に沈んでいく人がいる時に、

その泥沼に手足を突っ込んで引き上げる誰かと何かが必要です。

セラピストやカウンセラー、ヒーラーなども含めて、
人は「自分が通ってきたところまでは道案内できる」存在です。
ここに行く時にこうやってみたら乗り越えられたよ・・・という。

これも私の場合最近では、
『普通そういう道は行かないから』のところまで。
道案内の対象が、ライトなケースはもちろんですが、
ディープなケースから、それを超えて亡くなった方まで。

一般的では無いこと、普通人が滅多に経験しないこともあるかもしれません。
誰しもがそれぞれ色々、事の大小も含めてたくさんあるでしょう。

それを乗り越えたから、そこまでは引き上げられるという経験は
どれを取っても無駄では無いと思います。

 

レイヴンは見つめ続けます。
あの世とこの世の橋渡しをするレイヴンを前に、嘘をつくことはできません。
全て明らかにする存在です。

私の葛藤をただ見つめています。

《いったいこの私にどんな価値と、意味があるのだろう》
・・・・・という無意味感の中で漂う私を。

『そんなことをしていて意味があると思ってる?』
エゴのあがきが私を足止めする。
悪魔の甘い誘惑です。

これまでの人生で、このような問いは幾度もありましたが、人生の前半期はそのうちのいつくかは「死」に直結しています。
そして生還した時、「いい加減にしてくれ。なんで生きてくちゃいけないの!? 私なんか地獄にほったらかしておけばいいじゃない!」と、怒り叫んだわけです。

地獄から私を生還させた天使は非情にこう言うわけです。
「やるべきことから逃げるな。今度神を試したらもっと辛い思いをするからそのつもりでいろ」って。

実際にリアルにこういうやり取りがあったわけではありません(笑)
ただ、ドラマティックに書くとこんな感じです。

そして人生の後半期になるにつれ違うレイヤーなりに、
こういった問いは浮かび上がってきますが様子がどんどん変わっていきます。

昔は泥沼にはまって身動きが取れなくて沈んでいく感覚だったけれど、今はエアポケットにスポッと入った感じで。

シャドウと向き合うとか手放すとか、自分のニーズを知るとか・・・
そういうプロセスとはまたちょっと違ったところで起きる《空虚感》があって、エアポケットに入ったような感じになるのです。

それはレイヴンが「次のレイヤーに上がる時」を告げに来た時のお知らせです。

すると、エゴが暴れ、あがきます。
エゴは存在を消されないためにその存在を主張してきます。

《お前がしている事は無意味で無価値。それが嫌なら悪魔と契約して、意味をつけてもらえ》

エゴのあがきと脅しに負けた時、本当の自分というものの一部を交換条件に悪魔と契約をします。
大なり小なりその契約には代償が伴う。

地獄に本当の自分というものの一部を捨てることになるのです。
それは悪魔の餌になり、骨は地獄に置き去りになります。
いつか自分が地獄へと降りて、骨を拾いにいくその時まで。

 

やろうがやるまいが、どちらでもいい。そこに意味なんて無い。 
ただ己がそれをするのかしないのか。
したいのかしたくないのか・・・それだけだ。

やるべき事はありません。

しかし、何もしなくてもいい状態でもいられないのが人間。

そして天使も悪魔もそこにはいません。

ただただ、ひとでなしな自分が心の中の地獄へ捨てた本当の自分自分の骨を拾いにいくのです。

良かれと思ってそうしたことだった。
こうしなければ生きていられなかった。
こんな風にしか生きられなかった。

自分ではどうすることもできない無力だった。

全世界の骨を拾うことはできない(拾えるものなら拾いたい)
しかし自分と自分の過去生も含めてこの魂が歩んできた道のりの骨を拾うことはできます。

何度もなんどもそういう時が訪れて、その度にもっと深くへ降りていくというか、ステージが上がるというか、レイヤーが変わるんですね。

 

骨を拾うたびに思うのです。

私達は生まれてきてただ存在するだけで価値がある。
そう、存在するだけで価値があった。
だからそれをそのまま活かし、具現化すれば、
それで十分世界に貢献する存在だった。

しかしそれを体現してこなかった分だけ地獄に捨てた骨が無数に散らばっていて、
地上の自分という存在はそうするたびに不完全さを増していく。
その不完全さを補おうと色々なものをくっつけたりしてやがて鎧ができていく。
そんなループにはまっていったのです。