「現役ドクター4人が死生観を語る」講演会に
出かけてきました。
仏教、キリスト教、アーユルヴェーダ、
スピリチュアルの立場からの切り口で色々なお話が聞けました。
パネルディスカッションが非常に興味深かったので
もっとお話が聞きたかったです。
現代の日本はまだまだ公に死を語ることが少なく、
また都会になればなるほど死が身近に無くて、
何か別次元のような感覚で捉えてしまいがちです。
これは私の話になりますが
10年前、新宿の聖母病院や
横須賀の聖ヨゼフ病院などで
臨床パストラルケア(スピリチュアルケア)の
現場研修が始まった時のことです。
患者様が時折お話しされたのが
「もっと早くに幸せな人生を考えておけばよかった。
死んじゃうかもしれないってわかった時になってやっと気づくなんてねぇ・・・」
死を忌み嫌って
「そんなことないですよ、大丈夫ですよ」
という言葉でやり過ごすご家族
当事者の目に前にある課題に寄り添う中
私が感じた数々の事から
日本のスピリチュアリティは
『死生観のリアリティ』が遠くに取り残されてしまってるんだと考えるようになりました。
斉藤大法先生は
「日本は死生観後進国」
とおっしゃっていましたが、
今もって10年前と大きくは変わっていないのが現状です。
日本には死と向き合う文化がなくなってしまった。
そもそもこういうことを忌み嫌う結果、
死生観が不明瞭なのも否めません。
結果現在でも安楽死や尊厳死についての
詳しい法律もありません。
死の向き合いもうまくできず
戦後の経済復興の中に
置き去りにされていった死生観
不安や恐れだけが表にでてきて
人生のあり方から死のリアリティを
遠ざけていってしまった感があります
それでも後期高齢化社会になって
どのように終えていくかについて
真剣に考える機会が増えてきているとは思います。
《死のリアリティを認めた時、
同時に生のリアリティを認めざるを得ない》
そのように斉藤先生のおっしゃるとおり
死を意識し、それに向き合うと、
自ずと『どう生きるか』を意識するようになります。
それは私自身が実際に
自死から蘇ったこと
身近な親戚、先輩や先生、仲間の
病死、自殺、変死・・・のように
比較的、死が身近にあったこと
こういった人生の中で幾度も
生きるとはなんなのだろう?
という問いに常に直面してきた私にとって
死を意識し、それに向き合うと、
自ずと『どう生きるか』を意識する
ということが自然なことでした。
しかし多くの方にとってはそれは
自然なことでは無かった
それに気づいたのがスピリチュアルケアでのことでした。
だから伝えていきたいこと
伝えていけることがたくさんあるんだなぁと
改めて認識した1日でした。
私は医師ではありませんが、
スピリチュアルケアワーカーの活動によって、
死を目前とされている方や死を身近に感じられた方の
心とスピリットに寄り添わせていただきました。
恐らく医療専門職ではない人の中では
その経験は比較的ある方だと思います。
学生時代〜20代に自死を試みた経験や
臨死体験
脳梗塞を病気を患ったこと
ごく軽い症状とはいえ、
治療法も原因も定かで無い難病を患っていること
スピリチュアルケア
スピリチュアリスト・ミディアム
終活ライフケアプランナー
これらの学び
尚且つ、生死について向き合い続けた人生経験が
少しでも皆さんの役に立てられたらと思って
〜人生振り返ってみれば幸も不幸も全部ネタ〜
『メメントモリ・カフェ《死生観ワークショップ》』
をはじめたんですね。
今回の講演会に参加して
改めて此のワークショップへの想いが強くなりましたし
死というものに向き合うことで
《あなたにとっての幸福な人生とは何か?》を
私ならではのワークとジョークを盛り込んで
時におもしろおかしく真剣に
語り合っていきたい想い
を新たにしました
使命感と言ってしまうとなんだか
聞こえは重たくなっちゃうけれど
《生きる手応えとむき出しの生》を
探究していくのが魂の選んだ道のような
そんな私の生き様から生まれたワークショップですから
参加される皆さんがひとりひとり
《生と死のリアリティ》という深い内容に向き合いながら
泣き笑いと気づきと喜びを感じられる・・・
そんな内容になっていくと思います。
ご興味のある方はぜひ
お声掛けくださいね。